【寝屋川市】寝屋川市の歴史を紐解くシリーズ第22弾!川勝町にある秦河勝の墓を訪ねて。聖徳太子の側近秦河勝は、秦の始皇帝の生まれ変わり!?

寝屋川市指定史跡「伝・秦河勝の墓」は、寝屋川北岸の丘陵上にあります。
かなり急な坂道を上がったところにありますが、周辺は住宅街となっています。

行き方は、大阪府寝屋川警察署から大阪外環状線の安全橋を渡ったところに運転免許の更新の時などにお世話になる寝屋川交通安全協会があります。
この場所から寝屋川北岸をさらに東に進み、月海珈琲店(国松町)を過ぎ、2筋めを北に入り、秦山と呼ばれるこんもりとした丘陵を上ると、秦の共有墓地があります。

さらに上がったところにある住宅地の中に小さな空間がぽっかり現れ、ここが秦河勝の墓であると伝えられています。
町名で言うと川勝町ですが、まさにこの町名は、秦河勝に縁あって名付けられたものです。

以前はこの周囲は竹林でしたが、現在は宅地開発によって、住宅地の一角に一辺11.5メートルの正方形の区画として残されています。

中央に高さ2.42メートルの五輪塔が建てられていて、地輪の四面に秦河勝の事跡や五輪塔建立の経緯などが400余字で刻まれています。

この五輪塔が、聖徳太子の近臣、秦河勝の墓と伝わるものです。

五輪塔南側に一対の石灯篭が建てられているほか、五輪塔の北東側には「正六位上兼右近衛府生秦武文」と刻まれた方柱状の塔が建っています。
 
ここに刻まれた碑文は、秦河勝が秦始皇帝の生まれ変わりとして大和の国(今の奈良県)に生誕したことが記され、また元の墓石はもっと豪勢だったようですが、豊臣秀吉の文禄堤に利用されて失われたため、子孫が慶安2年(1649年)に再建したとも記されています。

秦河勝は、6世紀から7世紀に秦氏の族長で、聖徳太子の補佐として活躍したことが知られています。
聖徳太子から仏像を授かり、京都の太秦に蜂岡寺(広隆寺)を建立したことで有名です。

寝屋川市には秦河勝を先祖とする家があり、周辺は川勝町、秦町、太秦などの地名、川勝山太秦寺もあります。
 江戸時代の地誌に記載されるなど、古くから名高い塔だったようで、今も地元の人々が清掃などをして守っています。

寝屋川の北岸をさらに東に進んだ八幡台にある八幡神社も秦河勝の勧請と言い伝えられています。

秦氏とは

秦氏は古代の渡来氏族で、日本に大陸の先進技術を持ち込んだ氏族であり、10万人を超えるような大人数であったということなどから、日本を大きく変える原動力になったとされる氏族です。秦氏の本拠地は山背国葛野郡太秦とされており、山背国においては桂川中流域、鴨川下流域を支配下におき、その発展に大きく寄与したと言われています。山背国愛宕郡(現在の京都市左京区北区)の鴨川上流域を本拠地とした賀茂氏と関係が深かったとされています。河内国讃良郡(現寝屋川市)にも「太秦」の地名があり、河内国太秦には弥生中期頃の高地性集落(太秦遺跡)が確認されており、付近の古墳群からは5世紀から6世紀にかけての渡来人関係の遺物が出土しています(太秦古墳群)。秦氏が現在の淀川の治水工事として茨田堤を築堤する際に協力したとされ、現在の熱田神社(寝屋川市太秦中町)が広隆寺に記録が残る河内秦寺(廃寺)の跡だったとした調査結果があります。
Wikipedia 秦氏

広報ねやがわ平成29年11月号 伝秦河勝の墓

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伝秦河勝の墓(寝屋川市川勝町2−22)はこちら↓↓↓

2022/06/27 07:18 2022/07/06 09:49
neyamon

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