【寝屋川市】寝屋川市の歴史を紐解くシリーズ第25弾!巨石がいっぱい!打上宮前町の「打上古墳群」と「弘法大師像」

寝屋川市の歴史を紐解くシリーズも第25弾となりました。
今回は寝屋川市打上宮前町にある「打上古墳群」と「弘法大師像」をご紹介します。

これは現在、敷地内に隈研吾監修の小中一貫校を建設中の明和小学校に渡るための明和歩道橋です。

この歩道橋のらせん階段の前に京阪バス明和小学校前のバス停があります。

ここに打上古墳群と呼ばれる巨石群があります。

打上の周辺には、古くから多くの古墳があったと言われています。
江戸時代の観光ガイドブックのような「河内名所図会」には、「八十塚同村にあり由縁不詳、八十は其数の多きをいふ」と紹介されています。

先日紹介した太秦高塚古墳は少し離れていますが、打上には、高塚・ほり塚・ぬめり塚・から塚などという「塚」の名前のついた地名が多くみられ、かつて打上には多くの塚(古墳)が存在していたことがうかがえます。
しかし、ほとんどの古墳は、耕地などをつくるために消滅してしまったようです。

現在の住所表示は、この打上古墳群側は打上宮前町ですが、歩道橋を渡った明和小学校側(現在四中校区小中一貫校を建設中)の地区は打上高塚町となっています。

明和小学校前バス停横にあるこれらの多くの花崗岩の巨石は、かつてこの付近に散在していた古墳に使われていた石材を集めたものと考えられています。

また、ここには、これらの巨石で祠をつくり「お大師さん」と呼び親しまれている弘法大師像が安置されています。
お地蔵さんのように見えますが、これが弘法大師像です。

寝屋川市設置の案内板によりますと、いつごろ安置されたかは不明とのことですが、像の台石には「四十番」「四十一番」の番号が刻まれているそうです。

この付近にある打上弘法井戸(北東約500m)、正縁寺(南約700m)などの大師像にも前後の番号が見られるところから、これは札所番号で、当時これらの大師像を巡る「霊場巡礼」が行われていたと考えられています。
打上では、今も大師御膳講の人々が毎月21日に御膳をお供えしているということです。
さぁ、ここからさらに打上の集落を上がって、高良神社、石の宝殿古墳を目指します。
続きは、次回の寝屋川市の歴史を紐解くシリーズでお送りします。

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打上古墳群はこちら↓↓↓

2023/02/26 07:18 2023/02/26 08:27
neyamon

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