【寝屋川市】寝屋川市の歴史を紐解くシリーズ第20弾!90年前の香里園に、海を渡ってきた修道女と建築家レーモンドが心を込めて建てた聖母女学院の昭和モダン建築。
2022年6月4日、香里ヌヴェール学院(旧聖母女学院)で香里移転90周年を祝う記念ミサとルルドホール完成食堂開設式が行われたことは、6月9日付号外NET寝屋川市で、詳しくご紹介しましたが、この取材を通して、90年前の香里園の様子が紐解かれました。
聖母女学院(現香里ヌヴェール学院)は、1921年にフランスのヌヴェール地方から7人のメールが日本に渡り、玉造にヌヴェール愛徳修道会修道院を設立したのが始まりです。
1923年に聖母女学院設立の認可がおりて、玉造で開校式が行われました。
玉造で開校した聖母女学院ですが、メールたちが子どもたちが思う存分に学び、遊べる場所を探していたところ、「香里園に京阪電鉄がグラウンドとして使用していた場所があります。ここなら静かで環境も良くて条件にぴったり合うはずです。」とすすめてくれた人がいて、メールたちはさっそく香里園に向かったそうです。
それが現在、香里ヌヴェール学院小学校・中学校・高等学校がある場所(寝屋川市美井町)で、当時は大阪府北河内郡友呂岐村字三井と呼ばれたところです。
1931年当時は一面に田畑が広がり、小高い丘からは南には生駒山、はるか西には六甲山、すぐ西には淀川が穏やかに流れ、桜並木が続く自然豊かで閑静な場所でした。
一方、1919年旧帝国ホテル設計監理のため、フランク・ロイド・ライトと共に来日したアントニン・レーモンドが日本に設計事務所を開設したのは、1921年のことです。
当時のシスターたちはこの高台からの抜群の眺めと立地が大変気に入りました。
レヴェランド・メールは、ここに校舎を建てるべく、外国人知識人ネットワークを通じてレーモンドとコンタクトをとり、設計を依頼します。
これが、その時にアントニン・レーモンドが設計した聖母女学院の設計図です。
1931年3月12日、レヴェランド・メールの鍬入れの後、いよいよ校舎の建設に着手します。
設計に当たったアントニン・レーモンドは、東京の設計事務所からこの地に何度も足を運び、建築を託された竹中工務店の誠実な施工により1932年に香里に最初の校舎が完成します。
香里の丘に現れた洋風の建物は、京阪電車からもよく見えたそうです。
この時に建てられた校舎が90年を経た現在も香里ヌヴェール学院の校舎として使われています。
90年前にレヴェランド・メールが佇む外廊下。
レヴェランド・メールが佇んでいた場所が現在もそのまま残されています。
玄関を入ったところです。
応接室には、レヴェランド・メールの肖像画が飾られていました。
90年前の昭和モダニズム建築です。
校舎内の階段の手すりは、全て丸みを帯びていて、階段の隅々まで、ごみが溜まらないようにアールに設計されています。
下足室も雰囲気があります。
当時、聖母女学院の児童、生徒の大半が京阪沿線に住んでいて、大阪方面から通学する生徒が多かったことから、京阪電車の起点の天満橋から香里園まで、聖母女学院の子どもたちだけを乗せて走る聖母専用車が走っていました。
このプレートはもっと後の時代のものですが、学校に保管されていました。
2000年に刊行された「マ・メール」の中に、90歳の元パン屋さんの証言の一節があります。
当時90歳ですから、2022年の現在なら112歳の方の話ということになります。
パン屋さんが香里園に移ってきたのは、山と畑ばかりで、パン屋を開くための家賃が安かったからだったそうです。
香里本通り付近の家が1ヶ月17円。あんぱんが1個1銭、大阪からの電車賃が26銭の頃です。
パン屋を開くのに良いところはないかと探していたところに、香里の丘にきれいな建物が見え、フランスから来たシスターが学校を開いていると聞き、外国人ならパンを買ってくれるかもしれないとシスターのところに行ったそうです。
「パンを買ってくれませんか。」と尋ねると、「自分たちでパンを焼かなければならないと思っていたのですが、あなたがパン屋を開くのなら、買いましょう」と答えてくれたそうです。その頃はまだ住んでいる人も少なく、パンも1日に1円くらいしか売れなかったそうです。
その頃には、香里教会があって、フランス人の神父様が「僕のところにもパンを持ってきてくれないか」と言ってくださり、「日本でフランスと同じパンが食べられる」とたいへん喜んでくださったそうです。
これが、聖母女学院のお御堂です。
初期のレーモンド建築として有名な聖路加国際病院や東京女子大学とも通じるモダニズム建築です。
このモダンな建物が昭和初期からあったとは驚きですね。
ここは、先日食堂に生まれ変わった元雨天体操場です。
こちらは、現在は新体育館に建て替えられている旧講堂です。
校舎内の鉄格子は、その昔、深夜に寄宿舎に侵入した泥棒に、「お客様いらっしゃいました」と叫び、驚いた泥棒が逃げ出した一件のあと、取り付けられたものでした。
戦争中は戦火を逃れるため黒く塗られた時期もあったそうですが、現在も大切に使われているこの校舎は文化庁が定める「登録有形文化財」に登録されています。
90年前の香里の丘に溢れる思いで建てられたこの香里ヌヴェール学院の校舎が、現在も当時と変わらぬ姿で存在していることに感銘を受けるとともに、農村だった友呂岐村に現れた白亜の建物が、これからも近隣の閑静な住宅街ともマッチして存在し続けてほしいと願わずにいられません。
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