【寝屋川市】香里ヌヴェール学院(旧聖母女学院)で90年前の設計図などレーモンド建築の貴重な資料300点以上が発見される!

香里ヌヴェール学院中学校・高等学校(旧聖母女学院)は、香里園(寝屋川市美井町)にある私立中学校・高等学校で、開校以来、聖母女学院として、カトリックの人間観・世界観にもとづく女子教育に力を注いできましたが、2017年4月から、現在の校名に改称し、男女共学となっています。

1932年に聖母女学院がこの地に移転して来た時に建築された校舎が現在も使われていますが、90年前のこの校舎の設計図や書簡などレーモンド建築の貴重な資料300点以上が見つかりました。

旧聖母女学院の校舎は、日本のモダニズム建築に大きな影響を与えた有名な建築家アントニン・レーモンド(1888年~1976年)の設計によるもので、1997年に国の登録有形文化財(建造物)の指定を受けています。

この校舎が貴重な国民的財産であることは言うまでもないことですが、今回、当時の建築に関する資料が多数発見されたことで、改めて聖母女学院の歴史とこの校舎の文化的な価値を再認識し、過去、現在、未来について、香里ヌヴェール学院中学校高等学校の田村かすみ先生にお話を伺いました。

90年前の建築資料は資料倉庫にあったこの木製のつづら箱の中などから発見されたそうです。

2020年11月、最初に発見されたのは、69枚の青図(原図から複製された青い図面)と施工した竹中工務店との契約書(昭和6年12月3日付)でした。

田村さんは、この建築資料の発見とともに、デジタル化保存に奔走し、1年後の2021年末、京都工芸繊維大学 美術工芸資料館の松隈洋教授(近代建築史)と数名の研究者達と共に漸く箱に入った設計図を開き、撮影が終了しました。

現在も設計図以外の書簡がつづら箱に残っていて、京阪電気鉄道と電燈について取り交わした書簡やレーモンド設計事務所とのやり取りの書簡であることが、見てとれました。

現在、香里ヌヴェール学院の所在地は寝屋川市美井町ですが、聖母女学院が移転してきた当時、この場所は大阪府北河内郡友呂岐村字三井だったことがわかります。

ここで、聖母女学院の歴史について振り返ってみます。

1921年5月、創立者 メール・マリー・クロチルド・リュチニエをはじめ7人の修道女がフランスより来日します。

1919年旧帝国ホテル設計監理のため、フランク・ロイド・ライトと共に来日したアントニン・レーモンドが日本に設計事務所を開設したのも1921年のことです。

1923年3月、大阪市中央区玉造に聖母女学院を創立し、同年4月開校します。
1925年3月文部大臣により認可を受け、聖母女学院高等女学校となります。

聖母女学院高等女学校となり、移転場所を探していた当時、香里園の高台に位置するこの場所は京阪電気鉄道が所有するグランドだったということです。

当時のシスターたちはこの高台からの抜群の眺めと立地が大変気に入りました。
ここに校舎を建てるべく、外国人知識人ネットワークを通じてレーモンドとコンタクトをとり、設計を依頼します。

レーモンドもこのランドスケープを活かす趣向を念頭に置き設計に入り、First sketch Plot planとして提示された設計図がこちらです。

この図面は1930年6月12日と記されています。

当初のプランから変更点はあるものの、幅2メートルの広く長い廊下が南北を貫き、櫛のように教室が配置されている設計は、現在も残る香里ヌヴェール学院中学校・高等学校の校舎とほぼ一致していることがわかります。

このファーストスケッチから約1年半後の1932年2月、大阪府北河内郡友呂岐村字三井(現寝屋川市美井町)に最初の校舎を落成、聖母女学院高等女学校は、大阪市中央区玉造から友呂岐村に移転し、同年4月聖母女学院小学校が開校します。

1932年に第1期工事が終わった聖母女学院の校舎は鉄筋コンクリート造りで、スパニッシュ風やアールデコ様式を取り入れています。

一方、1937年に増築された体育館(解体)と雨天体操場(現存)は装飾性を排し、シンプルな構造性を強調したモダニズムを実現しています。
これが、この度発見された体育館の図面です。

香里ヌヴェール学院提供

この体育館は、コンクリート造にスチールサッシの窓を一面に施し、当時そのデザイン性と建築技術において、大変優れた建築物でした。

香里ヌヴェール学院提供

しかし、この旧体育館は解体されていて現存していません。

香里ヌヴェール学院提供

これは解体される時の足場が組まれている写真です。

香里ヌヴェール学院提供

1980年9月3日に現在の体育館が竣工していますので、旧体育館は1970年代の最後に築40年を過ぎた頃、解体されたということになります。

雨天体操場は建築当時のまま現存しており、最近までトレーニングルームとして使われていましたが、現在は食堂に改装工事中です。

現在、食堂へとリノベーションが進められている雨天体操場の外観。

校舎は戦時下の空白期を経て、戦後も増改築が繰り返され、現在に至っています。

1947年4月、聖母女学院中学校発足。
1948年4月、聖母女学院高等学校発足。
1949年4月、京都市伏見区藤森に姉妹校聖母学院設立。
1962年4月、香里園に聖母女学院短期大学を開学。
1980年10月、ベルナデッタホール(体育館)落成。
1981年4月、京都市伏見区藤森に聖母女学院短期大学を移転。
1997年6月、マリー・クロチルド記念プール落成。
2011年4月、大阪聖母女学院中学校、大阪聖母女学院高等学校に校名を変更。
2017年4月「香里ヌヴェール学院中学校・高等学校」に校名を変更し、男女共学化となりました。

残されていたのは、構造図や設備図、施工図や見積書の他、東京のレーモンド事務所から現場に送られた指示書など、設計から現場管理までのやり取りがわかる資料で、京都工芸繊維大学の松隈洋教授(近代建築史)は「設計図だけでなく、現場と設計事務所のやり取りの資料も見つかり、レーモンド事務所が当時どのように仕事を進めていたのかを読み解くことができる貴重な資料群」と評しています。

90数年の時を経て開封された大量の建築資料に圧倒されつつも、当時のシスターの思い、レーモンド設計事務所、施工の竹中工務店の技術力、それらの熱い思いが戦火をくぐり抜け、今日まで守られてきたことに感銘を受けるとともに、これは、今後も建築を学ぶ学生のみならず、第一級の建築資料として、後世に残していく必要性を強く感じました。

このつづらの中から、他にノートルダム清心女子大学の設計図も出てきました。
この設計図は1928年のものです。
両方の学校の建築責任者だった高木健二氏が参考のために持ってきたのかもしれません。この設計図はノートルダム清心女子大には保存されておらず、研究と保存交流が今後進められていく予定です。
さらに、書簡は国際交流基金の玄田悠大先生が、地域と建築の関連性から研究を始めてくださる予定ということです。

この上空からの映像で、香里ヌヴェール学院が、建築当初の原型を現在も残していることがよくわかります。

香里ヌヴェール学院の現在の校舎内を案内していただきましたので、後日ご紹介したいと思います。

取材協力、情報提供は、香里ヌヴェール学院中学校高等学校 田村かすみ先生(2022年3月まで同校副校長)よりいただきました。

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香里ヌヴェール学院はこちら↓↓↓

2022/04/19 07:18 2022/04/21 14:30
neyamon

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