【寝屋川市】寝屋川市の歴史を紐解くシリーズ第8弾!長栄寺境内の石塔から江戸時代の「礫石経」が発見されました!

寝屋川市長栄寺町に所在する長栄寺の境内に享保10年に立てられた石塔から、甕に収められた「礫石経(れきせききょう)」が約 130 個発見されました。

長栄寺

寝屋川市企画3課提供

礫石経は、市道(都市計画道路対馬江大利線)の拡幅工事に伴い、境内の石塔を一時的に移設するために解体した際、一番下の基礎部分から甕の中に埋納した状態で見つかりました。

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このような発見はめずらしく、寝屋川市では初めてのことで、北河内地域でも他に例はありません。

長栄寺

寝屋川市企画3課提供

約1cm~7 cmの丸い石の表面に一文字から数文字の梵字が丁寧に墨書されているものや、15 cm程度の板状の石に文字がびっしり書かれたものものもあります。
 判読できた梵字は「仏頂尊勝陀羅尼(ふつちょうそんしょうだらに)」や「光明真言(こうみょうしんごん)」などを表すものが含まれており、唱えることで様々な厄を除き、功徳を受けることができるとされています。

長栄寺

寝屋川市企画3課提供

江戸時代、経典などを小石に書き写して石塔に納めたり、土の中に埋めたりすることが盛んに行われるようになりました。これを「礫石経」といい、土の中に埋納した場所を経塚と呼んで石碑を建てることもあります。
今回の礫石経が見つかった石塔の銘文から、石塔は享保10年(1725)4月27日に建てられており、礫石経もその時に納められたものと思われ、当時の人々の願いを込めた信仰を窺うことができます。

寝屋川市では、この発見を受けて展示や講座を開催します。
【市民歴史講座】
・日時:2020年11月13日(金)13時30分~15時30分 
・場所:市立エスポアール(錦町 21-3)
・講師:松永 修輔氏(市史執筆者・史迹美術同攷会理事)
・テーマ:長栄寺宝篋印塔(ほうきょういんとう)と経石
【展 示】
・ 日 時:2020年11月4日(水)~29日(日)9 時~17時15分
※ 毎週月・火曜日は休館
・ 場 所:市立埋蔵文化資料館(打上宮前町 3-1)
・ テーマ:新発見!石に墨書きされたお経


【長栄寺の由来】

古くは法威徳院と称しました。 
養老年中(717-723)僧行基がこの地へ回ってきて、茨田親王の墓にもうで、王やその子孫が茨田郡の治水に功のあったことから、その追福のために建てたものと伝えられています。
のち弘仁年中(810-823)弘法大師が当寺にとどまって説法してから真言宗に改宗したといいます。
古くは殿堂備わった大寺で、池田の専称寺はもと当院の一坊であったらしく、門前の地を仁王門田と呼ぶことから、ここに山門が建っていたと想像できます。 
応仁(1467-1468)のとき畠山一族の争いに堂宇が消失してしまい(一説に大坂陣ともいう)仮堂であったのを秀月待師が元和年中(1615-23)に再興しました。
元禄5年 11 月の当時において400坪の境内を有していました。
天保13年(1842)に再建されています。
明治7年、河内第三大区三小区四番組の集議所、明治17年には大十二戸長役場となります。
明治23年の町村制施行後長らく九個荘役場となっていました。
高柳の氏神社の宮寺でもあり、寺領一町六反もあって裕福な寺でした。
信徒40戸、 境内 440坪(約 1452 m²)
(寝屋川市誌(S41)から抜粋)

【長栄寺の蔵骨器の出土】

この蔵骨器は、1939年(昭和14年)に長栄寺町の長栄寺本堂の真北の水田を発掘したときに、ほかの石造物といっしょに出土しました。

長栄寺

寝屋川市文化スポーツ課

蔵骨器は凝灰岩(ぎょうかいがん)とよばれる軟質の石を一辺79センチメートル、高さ30センチメートルに加工したもので、中央部に一辺30センチメートル、深さ7.5センチメートルの正方形の孔があけられています。

現在、長栄寺の本堂の縁の下に保管されていますが、出土したあと、しばらく雨ざらしの状態であったため、かなり風化が進んでいます。
このため、現状から蔵骨器の身の部分になるのか、蓋の部分になるのかは判断できません。

出土場所付近は、寺の言い伝えよると以前(明治期?)に「茨田親王塚(まったしんのうづか)」とよばれる塚(現在は長栄寺の東北隅に所在)があった場所とされています。
1864年(文久4年)の古図には茨田親王塚が寺の西北隅に描かれていて、塚の位置はこれまでに2回移動していることになります。

蔵骨器は文久4年から明治期(?)に古図の位置(西北隅)から移動した場所(寺の真北)から出土したことになります。
このことは、蔵骨器といっしょに中世以降の石造物が出土していることからも裏づけられます。
長栄寺の付近では、古瓦が採集されていて、古代寺院(高柳廃寺)の存在が推定されています。
奈良時代以前の古代寺院と火葬骨を納めた墳墓については、その関係が指摘されていて、市西部(茨田郡) の古代のようすを考えるうえで貴重な資料です。

令和元年9月から長栄寺境内で改修工事が行われているため、本堂の縁の下から仮移設を行っています。見学を希望される方は事前に文化スポーツ室にご連絡ください。

寝屋川市企画3課より情報提供いただきました。
長栄寺はここ↓↓↓
2020/11/10 07:00 2020/11/11 01:41
neyamon

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