【寝屋川市】寝屋川市の歴史を紐解くシリーズ第27弾!北河内地域では唯一の飛鳥時代の巨石古墳「石宝殿古墳」と「高良神社」

寝屋川市の歴史を紐解くシリーズ第25弾、26弾とお送りした寝屋川市東端の打上探訪。
打上宮前町側のバス停「明和小学校前」を出発。

「打上古墳群」と「弘法大師像」

旧道を上がる途中にある明光寺「雷神石」をご紹介しました。

明光寺「雷神石」

第27弾では、いよいよ打上元町にある北河内唯一の古墳時代終末期に属する石宝殿古墳をご紹介します。

現在地は打上神社(高良神社)の前。

はちかづきちゃんの説明サインは「打上の自然」について書かれていて打上神社(高良神社)についての説明板はありません。

寝屋川市の最東端であり最も標高の高いこの場所は古代から人々の営みがあった場所ですが、誰もいない境内には、竹林からの風がそよいでいます。

現在は寝屋川市設置の誘導サインでも打上神社となっていますが、江戸時代までは高良神社でしたから扁額にも高良神社と書かれています。この名前はおそらく高麗の訛であろうと推測されます。 

創建年代は不詳で、御祭神もかつては、高良大明神としていたようです。明治維新後に高良神社から打上神社と改称しています。とは言え、社号標や扁額も、ほとんど高良神社となっていて、地元でも高良神社で通じます。

御祭神は、武内宿禰。

武内宿禰は、大和朝廷の初期に活躍したという伝説上の人物で、 記紀によれば第8代孝元天皇の曽孫で、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5朝に仕え、大臣となり、神功皇后を助けて 新羅出兵などに功績があったとされています。

 

高良神社を参拝して、右側にあるこんもりした山に向かいます。

山の登り口の説明板は、はちかづきちゃんではなく、文化庁、大阪府教育委員会、寝屋川市教育委員会が作成したものです。

昭和48年に国史跡に指定された「石宝殿古墳」です。巨大な花崗閃緑岩(かこうせんりょくがん)という硬い石をくり抜いて「石槨(せっかく)」と呼ばれる死者を葬る部分が造られています。石槨は、上面を平坦に加工した底石(下石)の上に直径3m、高さ1.5mの内部をくり抜いた蓋石を重ねたものです。

この古墳は生駒山地から派生する丘陵の南斜面に築かれていて、巨大な横口式石槨が露出しています。
入口部分の左側には上下面に丸いくぼみがあり、この部分に軸をはめ込む扉状の施設があったと推定されます。

主体部の横口式石槨は2石を組み合わせたもので、上面を平坦に加工した底石(下石)の上に、直径3メートル 、高さ1.5メートルで埋葬部分をくり抜いた蓋石を重ねています。
内部は幅0.9メートル、高さ0.8メートル、奥行き2.2メートルで、入口部分は幅0.5メートルとせまくなっています。玄室部の前面には板状の2石が平行に建てられていて、羨道部を形成しています。

同じような構造の横口式石槨をもつ古墳は、奈良県斑鳩町御坊山3号墳、明日香村にある鬼の爼(まないた) ・鬼の雪隠(せっちん)しかなく、きわめて特異な形状のものということです。

古墳の背後には3個の巨石が一列に並んでいますが、1988年(昭和63年)に行われた発掘調査ではこの列石の西側に続く石が埋っていることが確認されました。この石と列石との設置角は135度で、この石を古墳の外側のラインにすると、古墳の平面形が八角形になる可能性があります。

古墳は江戸時代には現状のように開口していたことが記されていて、石槨内に納められていた棺の形状や副葬品などは不明です。

発掘調査のときに石槨の周辺から須恵器の小片が出土していて、この土器や石槨の構造などから7世紀中ごろに築造されたと考えられます。
石宝殿古墳の築かれた7世紀には、奈良県の飛鳥地域および「近つ飛鳥」と呼ばれる大阪府羽曳野市・太子町・河南町に集中して天皇・皇族やその側近が葬られていると考えられる古墳が築かれており、近畿地方の他の地域では古墳の築造はほとんど行われなくなります。
この時期に北河内地域で唯一築かれた石宝殿古墳は、被葬者については不明ですが、古墳の形や埋葬施設からも、この地域を治めた有力な豪族で、中央の政権とのつながりをもった人物だったと想像できますね。

寝屋川市文化スポーツ室

石宝殿古墳からさらに上がったところ(海抜100メートルの地点)の展望台から望む打上団地、大阪市内方面。

天照皇大神や役行者も祀られています。

そのお隣には一願不動明王。

大峰山信仰の碑もありました。

こちらは妙見大菩薩です。

寝屋川市の最も東の山の上の地域ですが、様々な信仰があり、今も住人によって花やお酒などが供えられていて、大切にされていることが伺えます。

古代、まだ海だった地域に高層ビルが立ち並び、夕陽が沈んでいきます。

春の一日、奈良県の明日香村、「近つ飛鳥」と呼ばれる大阪府羽曳野市・藤井寺市・太子町・河南町と並ぶ「石宝殿古墳」を訪れてみてはいかがでしょう。

【寝屋川市】寝屋川市の歴史を紐解くシリーズ第26弾!古墳の石棺を利用か?打上元町にある明光寺の奇石「雷神石」

【寝屋川市】寝屋川市の歴史を紐解くシリーズ第25弾!巨石がいっぱい!打上宮前町の「打上古墳群」と「弘法大師像」

【寝屋川市】寝屋川市の歴史を紐解くシリーズ第24弾!かなりの有力者の墓か?太秦高塚古墳は5世紀後半の古墳のなかでも北河内地域最大級。

石宝殿古墳はこちら↓

neyamon

号外NETの広告出稿はこちら

号外NETメルマガ

号外netは持続可能な開発目標(SDGs)を支援します

号外netへの提供提供求む!

コミュマッチ