【寝屋川市】寝屋川市の歴史を紐解くシリーズ第17弾!無病息災、五穀豊穣を祈る大利神社の秋季例祭「湯立神事」とは?
2021年10月18日、大利神社で秋季例祭本宮祭「湯立神事」が斎行されました。
例祭とは、神社で毎年行われる祭祀のうち、最も重要とされるもののことです。
大利神社の御祭神は「大歳神」 「菅原道真公」 「大国主大神(大黒天)」「事代主大神(恵美須神)」 です。
境内には「皇太神宮社」 「稲荷社 」「八幡社」 「神牛社 」の末社があります。
貞享三年(1686)の調査(河内名所図絵)には古くよりありと記され、創建年代は不明ですが、宝永五年に地震・大風により大破し、宝永六年(1709)に再建、文化十四年(1817)修復時の棟札が残されています。
このうち宝永六年の棟札には、神宮寺であった「金剛寺」と「住持圓了」の名が記されていることから、明治初年の神仏分離までは、金剛寺の僧が神社の管理に当たっていた事がわかります。
現在の社殿は江戸時代に再建されたもので、権現造りとなっています。
菅原道真公がお祀りされたのは江戸時代からで、この辺りを治めていた淀城城主 永井信濃守が道真公を崇敬していたからです。
神牛社の牛さんは身代わりの牛さんとして地元の人々に親しまれていて、痛い所が有るとその部分を撫でると痛みを取ってくれると信じられています。
五穀豊饒の大歳神、商売繁盛の大黒さん、恵比寿さん、お稲荷さん、学業成就の天神さん、勝負の神様 はちまん様、お伊勢さんをお祀りしています。
また、大利神社の信者は長患いせずに楽に逝けると云われています。
2021年の例祭では、お神輿の巡幸は行われませんでしたが、10月18日午後1時より本殿にて本宮祭が執り行われ「湯立神事」が斎行されました。
そもそも「祭り」とは何でしょう?
「まつり」という言葉は「まつる(祀る)」の名詞形で、感謝、祈り、慰霊のために神、仏、祖先をまつる行為をいいます。
「祭」という漢字は、切った肉の象形である「月」と、手の象形である「又」、祭壇の象形である「示」からできており、いけにえの肉を祭壇にまつる様子を表しています。つまり、本来「祭り」というのは祭祀を指します。
秋は実りの時期なので、秋祭りには収穫に感謝する意味があります。
豊作祈願の春の祭りと対になる関係で、御田植祭に対する「新嘗祭」が、伊勢神宮を筆頭に各地で行われています。
農村部では田の神に感謝し送り出す祭りがみられます。
神も人と一緒に祭りを楽しむと考えられたため、神をもてなすために音楽や踊りを披露するようになり、神楽や田楽などが生まれました。
都市部でも実りの秋を迎えられたことに感謝し、ますますの発展、安寧、無病息災を祈願する祭りが行われています。
先ずは本殿にて神職によるご祈祷が行われ、巫女による神楽奉納が行われました。
その後、本殿前にて湯立神事が始まりました。
湯立は、巫女による神がかりの儀式の一つです。
本殿前に釜が二つ準備され、湯立神楽が奉納されます。
釜で湯を沸かすのはそれを勧請した神々に対して献上し、また舞を舞う巫女が神がかりとなって神託を行うためです。
古くは禊や、神意を問うための占いの手段としての要素が大きかったことから問湯(といゆ)とも呼ばれていました。
氏子や参拝者はお祓いを受けます。
釜の湯にはお酒が注がれます。
笹を神前で沸かした湯に浸して自身や周囲に振りかけます。
このお湯をかけてもらうと、元気で長生きできると言われています。
2021年10月18日、大利神社秋季例祭に於ける「湯立神事」 pic.twitter.com/ZQbL33C7gM
— 号外ネット寝屋川市最新ニュース (@neyamon252525) October 18, 2021
神事が終わると、このお湯が紙コップで振舞われました。
お湯を掛けるのも飲むのも、いずれもその願いは無病息災や五穀豊穣を願ったものになります。
大利神社では秋季例祭の他にも春祭りや、夏越しの祓い、年越しの祓いなどの恒例行事があります。
大利神社では、昭和の時代には、盛大に秋祭りが行われ、神社の境内、参道は露店で埋め尽くされ、お化け屋敷などもあり、氏子の子どもたちにとっては大変楽しみな行事のひとつでした。
年々規模が縮小されていった経緯があり、今年はおみこし巡幸もできませんが、湯立神事は粛々と行われ、コロナ禍によって、五穀豊穣、無病息災を祈るという本来のまつり(祀り)の原点に立ち返ったような気がしました。
【参考資料】
大利神社庁第3支部ホームページ「大利神社」の項
Wikipedia「湯立神楽」の項
【寝屋川市】大利神社で寝屋川ハロウィンフェスタ2019開催!天平時代仮装行列や神社deライブで秋の1日を楽しんでいました。
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