【寝屋川市】寝屋川市の歴史を紐解くシリーズ第12弾!寝屋川市の名前の元になっている寝屋川の起点はどこにあるの?
寝屋川の源流を辿る①『寝屋川の起点』
わたしたちが「寝屋川」と言う時、それは、地名として寝屋川市のことを指すことが多いですよね。
川の名前であるにも関わらず、市名にもなっていて、尚且つ、この川が寝屋川と呼ばれているのは寝屋川市内だけでなく、門真市、大東市、東大阪市を経て大阪市内をも流れ、天満橋近くの大川(旧淀川)に注いでいます。
この寝屋川の起点の目印は、寝屋川市公園墓地の前、町名で言うと池の瀬町のサイクルロード上にあります。
所謂、「寝屋」の交差点のところ、寝屋の歩道橋の見えるこの位置が、延長約21キロの一級河川寝屋川の起点となります。
合流地点では、鴨がお食事中でした。
極楽橋の下を流れるのは、交野市から流れてくる一級河川傍示(たち)川で、枚方市の高田からスギ薬局や王将の前を流れてくる北谷川とここで合流し、寝屋川となります。
はちかづきちゃんの説明板は、寝屋川の起点より50mほど北東にあります。
寝屋川が地域名として使われたのは明治22年4月に誕生した寝屋川村です。
ただ、この寝屋川村には、寝屋地区は含まれていません。
寝屋川は、現在の寝屋川市駅より南の地域となる木田、堀溝、河北、萱島流作新田(かやしまりゅうさくしんでん)の4村に流れていたことからこの四地区が合併して寝屋川村と名乗り、その後、寝屋川町、寝屋川市へと名前が受け継がれていきます。
寝屋川は、普段は静かな流れで、かつて農業用水や生活用水、大阪との船便などで地域の暮らしを支えてきた反面、大雨が降れば、星田の山や香里丘陵の水を集めて流れ、人々は随分と水害に悩まされてきました。
現在では、改修等で近代的な川になりましたが、先人のこうした水との共存と治水の苦労が、私たちの郷土を生み、育んできたといえます。
生まれた時から寝屋川市に住んでいる筆者にとっては、寝屋川といえば故郷であり、自分自身の源流でもあります。
寝屋川市の様々なニュースを毎日お届けする中で、いろいろな人と出会い、繋がり、新しい発見があります。
以前にも増して寝屋川への愛着が深まった筆者は、寝屋川の起点に立ち、寝屋川の源流を辿ってみたいという衝動に駆られて、早春の1日、自転車のペダルを漕ぎだしました。
このつづきは、寝屋川市の歴史を紐解くシリーズ第13弾!寝屋川の源流を辿る②でお送りいたします。