【寝屋川市】寝屋川市の歴史を紐解くシリーズ第1弾!地形から読み取れる縄文時代。寝屋川市の半分は海だった!
今日は夏休みの自由研究、『寝屋川市の歴史を紐解くシリーズ第1弾』として、地形から縄文時代の寝屋川市について考察します。
これは寝屋川市駅から香里園駅までをほぼ真ん中にした寝屋川市の地形です。
綺麗に真ん中を南北に崖が走っています。
東側の緑になっている部分は標高の高い山手、すなわち生駒山系の裾野の部分です。
真ん中に四角形が見えますが、そこが大阪府立大学工業高等専門学校のあるところになります。
大阪外環状線を境に綺麗に山と平地に分かれているのがわかります。
まさしくこの南北に走る崖は、縄文時代の河内湾の頃の海蝕崖の名残りなのだそうです。
情報提供をいただきました梶本さんによりますと、昔は生駒山の麓まで、鯨が泳いでいたそうです。
かなり水が減った神話の頃も、神武東征で、神武天皇は大阪湾から生駒の麓に船で乗り付けていたという話です。
元々、この高低差は生駒山の造山時に出来た断層で、そこに縄文海進で波が削ってシャープなエッジを形成したとのことで、太古の昔は、高専より西は河内海だったということになります。
その後、河内海は、次第に土砂が流れ込んで河内湖となります。
楠正行が、高師直と決戦を交えた「四條畷」の戦場も、生駒山と河内湖との間で、比較的「狭い範囲」だったと聞いたことがありますが、その頃(14世紀前半)の河内湖は、どのあたりまであったのでしょうか。
梶本さんによりますと、河内湖は深北緑地ぐらいまで後退していたようですが、生駒山麓まで低湿地が続いていて、今の学研都市線あたりになってやっと乾いて馬が通れる細い回廊になっていたとのことです。
今でも寝屋川市や門真市、大東市には残っていますが、昭和の時代にはあちこちで見られた蓮池はその名残なのでしょう。
梶本一夫様はじめ寝屋川の輪の皆様、貴重な情報ありがとうございます。
寝屋川市はここ↓
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