【寝屋川市】八坂神社に初詣。寝屋川一中の美術部奉納の絵馬に注目!三が日はお神酒が振舞われます。
令和5年が明けて二日目の朝となりました。
今日の初詣シリーズは寝屋川市駅から徒歩1分の八坂神社をご紹介。
手水舎には綺麗にお花が浮かべてありました。
電車からも良く見える八坂神社の境内には、寝屋川市が保存樹に指定した4本のくすのきの他にも、15本のくすが育っています。
最も大きなものは、高さ約15メートル、周囲約7メートル、樹齢は約650年以上と推定されています。
これらの大樹は社殿を取り囲み、一層荘厳さを醸しだしていますが、京阪電車の窓から見える美しい緑の樹冠は、乗客にもひとときの安らぎを与えてくれます。
また八坂神社には、毎年、寝屋川市立第一中学校の美術部の生徒さんたちが、新年の干支を描いた絵馬を奉納しています。
とても繊細なタッチで心を込めて描いたことが伝わります。
この辺りは第16代仁徳天皇が浪速高津宮を皇居とした時代、茨田の堤を築き、河内平野東部を南北に走る山脈丘陵に源を発し、高宮台地に迫り、南流して、茨田の池と呼ばれていました。
飛鳥時代の第35代皇極天皇2年(643年)7月、池の水が腐敗し、小虫が湧き、翌8月にはその虫が死んで、その死骸が水面を覆い尽くしてしまったそうです。
そのため、池の水が藍汁のようになり、魚類は死滅、悪疫が発生し、住民にも死亡する者が多くなったといいます。
そこで里人は困窮し、播州廣峯神社に疫病平癒の祈願を行いました。その霊験は著しく、間もなく疫病は終息したということです。
神恩報謝により、廣峯神社の御分霊を勧請して小社を建立したのが八坂神社の起源であるといいます。
当初は祇園社と呼ばれ、里の守護神となった。御祭神は素盞鳴尊です。
八坂神社の南方約300メートルの地に旧「ひろむね」と呼ばれた集落があり、「ひろむね橋」もあったといい、廣峯神社を勧請した記念に地名となったとされています。
その後、茨田の池は水が乾き、芦原になったために開墾し、数十町歩の農地となりました。そこで、五穀豊饒を祈願して豊受姫命と住吉大神を勧請したということです。
現在、住吉大神は相殿に祀られ、豊受姫命は倉稲魂大神とともに、末社の稲荷神社として鎮座しています。
なお、当社の創建については、平安時代、醍醐天皇の延長元年(923年)、現在の早子町周辺にあたる河内国広宗村の人々によって広峯神社を勧請したともいいます。
八坂神社では代々、茨田の池の茅により屋根を葺き、20年ごとに葺き代えてきましたが、幕末の万延元年(1860年)正月、永世不朽の瓦葺入母屋造りとなりました。これが現在の社殿です。
神社の創建を伝える史料は現存しませんが、明治元年(1868年)に八坂神社と改称する以前は、牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)や祇園社(ぎおんしゃ)などとよばれていたそうです。
(八坂神社縁起より抜粋)
八坂神社では2023年1月1日午前0時より3日間、御神酒や甘酒の授与があります。
【寝屋川市】6月30日、八坂神社、友呂岐神社でも夏越大祓式。茅の輪くぐりで無病息災・疫病退散を願う。八坂神社では幻想的な灯火も。
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