【寝屋川市】寝屋川市の歴史を紐解くシリーズ第16弾!木屋町の鞆呂岐神社の春祭。絵本『ありがたばあさん』のなで大黒さまをたずねて。

2021418日、木屋町の鞆呂岐神社で春祭が斎行されました。
生憎の雨のため、提灯行列は中止となりましたが、古式に則って祭礼が執り行われました。

鞆呂岐神社の鞆呂岐(ともろぎ)とは、皇室の荘園を意味します。
鞆は天皇の立派な姿の形容で、呂岐は神を表す語ということです。

鞆呂岐神社の御祭神は、六社大明神(天照皇大神・豊受大神・蛭子大神・住吉大神・神功皇后・天児屋根大神)で、古来より、鞆呂岐神社は河内の国茨田郡旧鞆呂岐荘の内にあり、木屋村に鎮座しています。

今から千数百年の昔、大和朝廷がようやく国内を統一して、国家の体制が整った頃、この辺りは葦や茅の生い茂る荒地でした。
人々はそこで農耕を主として生活をしていましたが、淀川には堤防がなかったので、大雨が降るたびに洪水となり、住居も人も流されました。
4世紀の半ば頃、仁徳天皇はこの惨状をご覧になり、年貢を免除して茨田の堤を築きました。


奈良朝末期、淳仁天皇の仰宇天平宝字元年(757年)天皇の近侍藤原仲麻呂は積年の苛政を改めて、百姓のために田園を開墾しました。
その後の平安朝期、淳和天皇の天長八年(831年)、天皇の近侍藤原保則卿が従者を伴って河内平野を視察に来て、「良い平野なのに、この地の開墾が遅れているのは、水利の便が悪いからだ」と翌年に東に赤井堤(枚方市と寝屋川市の境)、南に御供堤(八尾市)を築き、山手からの水害を防ぎ、淀川から木屋、絶間口に大門樋を設け、灌漑用水の便をよくしました。

このおかげで暮らしが豊かになり、清和天皇の貞観三年(861年)に、この水利の村で、ここに鞆呂岐神社を建立し、水利の守護神として崇敬したのが始まりということです。

鞆呂岐神社の菊の御紋

鞆呂岐神社は三島郡島本町広瀬に鎮座する「水無瀬神宮」より社殿を戴いたと云う由緒ある神社で屋根瓦には天皇菊紋(十六紋)が復元されています。

水無瀬神宮の御由緒

水無瀬神宮の菊の御紋

水無瀬神宮の屋根瓦にある菊の御紋

鞆呂岐神社では、昔から祭典には妙齢の処女に薦巻飯(ちまき)を供えさせる儀式がありましたが、寛政元年(1789年)からは村長がこれにあたり、明治になってからは氏子総代がその任に当たっています。

現在の社殿は、平成21年5月に改修工事されました。
石灯籠二十基は、用水桶の水源にある神様として、用水掛の二十ヶ村から、文久三年(1863年)九月に寄進されたものです。

こちらが普段は入ることができない拝殿奥の本殿です。
彩色が施されていたことがわかります。

大変貴重な壁画も拝見いたしました。

鞆呂岐神社の拝殿の東側の少し高く盛り土されたところに奥宮として若宮八幡神社があります。

この鳥居は『忠臣蔵』で有名な赤穂浪士の1人、村松喜兵衛秀直の4代目の子孫が寄進したといわれています。
事件後、縁者は捕らえられ、秀直の子、政右衛門は伊豆大島に流されますが、4代将軍家綱の法要を機に赦免されましたので、その後、木屋村に移り住んだようです。

鳥居には「播州赤穂城主浅野長矩家中四七人之内村松喜兵衛秀直四代之孫 村松喜兵衛源尚次」と刻まれています。

奥宮の様子です。
社殿の隣のご神木の根元に小さな祠がお祀りしてあります。

祀られているのは、竜神様です。
木屋の竜神様の民話は、こちら(寝屋川市ホームページページ)からご覧になれます。

奥の院社殿の左側に「史跡・茨田蛇の池跡」と記された碑があります。
ここは、広大な竜神様の池があったところです。
竜神さまの池も今ではすっかり田んぼや住宅となってしまって、あとかたもありません。
わずかに最近まで残っていた名残りの小さな池も今は埋められています。
側面には、昭和51年に竜神さまを崇敬(すうけい)する四百六十数人の浄財で神域を整備しこの碑を建てたと刻まれています。
こうして木屋の竜神さまは今も村人の心の中に脈々として活きつづけているのですね。

本殿の西側には稲荷神社もあり、稲荷大明神がお祀りされています。

また絵本『ありがたばあさん』(お話 青山洋子 池田出版)に出てくる鞆呂岐神社の大黒様は「なで大黒」として神社にお参りになる方々の〝福徳と福寿〟を祈念して明るい陽光を浴びて参拝者をにこやかに迎えておられます。

『ありがたばあさん』の英語版『THE GRATEFUL GRANNY』も出版されていて、コロナ禍以前は外国からの参拝者もよく訪れていたということです。

『ありがたばあさん』の英語版と日本語版の表紙です。

また絵馬堂には、たくさんの絵馬が飾られています。

義経千本桜図

直実と敦盛図

こちらは、俳句六歌仙図。
大変貴重なものを見せていただきました。

このように建造物や絵馬、境内の大木や鳥居、なで大黒様と、大変由緒ある鞆呂岐神社です。

鳥居からの真っ直ぐな道は神社の参道ですが、条里制の名残でもあります。

一の鳥居。

馬場前橋。
ここは一の鳥居よりさらに手前になりますが、昔はここで馬から下りて参拝しました。
この日は下校途中の友呂岐中学校の生徒がこの分かれ道で友達と話をしていました。

今も水路が残っています。

これらは遠い祖先から脈々と受け継がれてきた貴重な文化遺産でもあり、時代とともに形を変えながらも人々の心の拠り所として受け継がれてきたものです。
これからも大切に伝承していきたいと感じました。

鞆呂岐神社総代 岸田秀治様、ふくまりさん情報提供、取材ご協力ありがとうございました。

友呂岐緑地についてはこちらで。↓↓↓

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歴史を紐解くシリーズバックナンバーはこちらからご覧になれます。

鞆呂岐神社はここ↓↓↓

 

2021/04/19 07:18 2021/04/19 12:07
neyamon

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