【寝屋川市】寝屋川市の歴史を紐解くシリーズ第2弾!古代河内海は河内湖となり現在は深野池に名残り。何故?深北緑地に転がる大きな石。
寝屋川市の歴史を紐解くシリーズ第1弾では、寝屋川市の地形から、縄文時代に思いを馳せました。
古代河内海は河内湖となり、現在は深野池(ふこのいけ)に名残を残しています。
古代河内湖は、干あがりつつも、江戸期には北の深野池(ふこのいけ)、西の新開池(しんかいいけ)を残し、そこを寝屋川が貫いていました。

四條畷市立歴史民俗資料館
Twitterで大阪平野の発達の様子をわかりやすく示してくれています。
たしかに太古に思いを馳せていると、次々と興味がわいてきて止まらなくなります。
大阪平野の発達史の古地理図、色つけてたら朝になったわ。やりだしたら止まらん。 pic.twitter.com/k2brvSPLFj
— 新之介 (@jusojin) May 1, 2020
治水施設として寝屋川治水緑地の名称も使われています。



これから「河北」の地名が生まれました。
大和川付け替え後、寝屋川市域の洪水は減るものの、寝屋川が増水すると低湿地の寝屋川市や大東市は水害に見舞われる状況は、昭和にも続いていた、と言う状況になります。
この時、深北緑地を見に行ったところ、遊具や施設もすべて冠水していて、まさに湖と化していて、治水のための公園が役目を果たした姿とは言え、かなりの衝撃でした。
まだまだ治水対策は自然とのいたちごっこになります。
梶本様、情報提供ありがとうございます。
号外ネットでは、引き続き歴史を紐解くシリーズをお送りいたします。








