【寝屋川市】寝屋川市の歴史を紐解くシリーズ第14弾!歴史街道『山根街道』の正法寺梵鐘と西蓮寺木造千手観音像と木造地蔵尊。
寝屋川の源流を辿る③歴史街道 『山根街道』を行く
寝屋川市寝屋の交差点の下、交野市から流れるたち川と枚方市から流れる北谷川の合流地点から、寝屋川は始まります。
ここから、寝屋川の源流を辿るなら、たち川沿いを星田方面に向かいます。
しかし、たち川沿いの府道154号線(私市太秦線)とは別に寝屋の歩道橋をくぐったところに分岐があり、もうひとつの道があります。
王将の裏を上がっていく坂道、これが山根街道です。
この街道は、寝屋の集落を東西に横切る古来からの主要道であり、その延長上は東に東高野街道、西は京街道へとつながります。寝屋川市のほぼ中央を東西に横切ることになり、現存する街並みと併せ、古来の人々の往来する姿を充分に彷彿させてくれる歴史街道です。
この街道整備は「歴史街道跡整備事業」として、平成4年から8年にかけて整備されました。
「山根」というのは、山のふもとを指す一般的な言葉で、ここからは、東に生駒の山々が見えています。
前回の第13弾でお話したようにこの地は寝屋川の名前の元となった寝屋地区です。
急な坂を上がったところにはタイムスリップしたかのような光景が。
無人のお野菜販売所の隣にはお地蔵さん。
前回のはちかづきちゃんの里、寝屋長者屋敷跡から第二京阪道路をこえて、寝屋神社との分岐にあたるところです。
立派な門構えに蔵のある街並みが続きます。
「歴史街道跡整備事業」として、平成4年から8年にかけて整備された山根街道です。
ここは、昔ながらの街並みが綺麗に手入れされ、そのまま残っています。
寝屋川市にこのような歴史街道が残っていることをご存知ない方も多いのではないでしょうか。
この山根街道は東高野街道に繋がっていますので、ここから高野山やお伊勢さんに向かったのでしょう。
こちらが紫雲山正法寺です。
ここ正法寺には寝屋川市の指定有形文化財である梵鐘があります。
正法寺の梵鐘は、山門を入って右側(東側)の鐘楼につるされています。
鐘の大きさは、高さ110センチメートル、口径64.5センチメートルです。
その後、1962年(昭和37年)に正法寺に移されました。
この梵鐘は江戸時代の初めの慶長期のもので、現在残されているものとしては、市内最古の梵鐘です。
鐘は、池の間を上下2段に分けていて、広い中の間をつくっています。
鐘の表面だけでなく、鐘身の内面にまで602もの法名や家名が刻まれています。
草の間には簡素な唐草文が浮き彫りで鋳出されています。
(寝屋川市文化スポーツ室)
正法寺と並んで壁画に描かれていたのは西蓮寺です。
西蓮寺の開祖や創建年代など由緒は明確ではありませんが、境内の墓地のある宝篋印塔に刻まれた年号には天和、貞享などの年号が刻まれたものが見られ、江戸時代初期には存在していたものと思われます。
観音堂に安置されている木造千手観音像と木造地蔵尊を拝観させていただきました。
いずれの像も制作年代は不詳ですが、伝えによると、寝屋を舞台とした「鉢かづき姫」の初瀬姫やその父母の厚い信仰のあった観音像と地蔵尊であるということです。
道標地蔵については、次回お届けします。
現在は浄土宗の寺院ですが、もとは守口佐太来迎寺の末寺であったそうです。
『寝屋川市史』によれば、本堂の縁に吊るされた喚鐘の銘文に「創建既久 佛殿上漏下湿埃 維時宝永三歳次丙戊之秋蒙 ‥‥云々」とあることより、この宝永3年(1706年)頃に寺観を整えたのではとされています。
西蓮寺と正法寺はお隣同士に建っています。
正法寺と西蓮寺の手前、寝屋公民館にいるはちかづきちゃん、地元だからかリラックスした表情に見えます。
寝屋川市内でもここは別世界という印象でした。
寝屋川の源流を辿るシリーズ、今回はここまでにして、つづきは次回をお楽しみに。
山根街道はここ↓↓↓